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東京地方裁判所 昭和35年(ワ)6631号 判決

原告 浅草寺

被告 関根信義 外二名

被告 関根信義補助参加人 東武信用金庫

主文

一、原告に対し、被告関根信義は、別紙物件目録〈省略〉第一(イ)の建物を収去し、被告百万弗興業株式会社は同建物から退去して、それぞれ同目録(ハ)の土地を明渡し、かつ、右被告両名は各自原告に対し、昭和二六年一〇月一四日以降右土地明渡し済みにいたるまで別紙損害金目録〈省略〉第一(イ)記載のとおりの金員を支払え。

二、被告関根信義は原告に対し別紙物件目録第一(ロ)の建物を収去して同(ニ)の土地を、別紙物件目録第二(イ)の建物を収去して同(ハ)の土地を、同(ロ)の建物を収去して同(ニ)の土地をそれぞれ明け渡し、かつ、昭和二六年一〇月一四日以降別紙物件目録第一(ニ)の土地の明渡し済みに至るまでは別紙損害金目録第一(ロ)記載のとおりの、昭和三二年六月二三日以降別紙物件目録第二(ハ)の土地の明渡し済みにいたるまでは別紙損害金目録第二(イ)記載のとおりの、昭和三一年一〇月七日以降別紙物件目録第二(ニ)の土地の明渡し済みにいたるまでは別紙損害金目録第二(ロ)記載のとおりの金員をそれぞれ支払え。

三、被告関根光枝に対する原告の請求を棄却する。

四、訴訟費用は、原告と被告関根光枝との間に生じた分は原告の負担とし、その余の部分は被告関根信義及び同百万弗興業株式会社の負担とする。

事実

第一当事者双方の求める裁判

一  原告

主文第一、第二項同旨、および、「被告関根光枝は原告に対し、被告関根信義と共同して別紙物件目録第二(イ)の建物を収去して同(ハ)の土地を、同(ロ)の建物を収去して同(ニ)の土地をそれぞれ明け渡し、かつ、昭和三二年六月二三日以降右(ハ)の土地の明渡し済みにいたるまでは別紙損害金目録第二(イ)記載のとおりの、昭和三一年一〇月七日以降右(ニ)の土地明渡し済みにいたるまでは同目録第二(ロ)記載のとおりの金員をそれぞれ支払え。訴訟費用は、被告らの負担とする。」との判決ならびに仮執行の宣言を求めた。

二  被告ら全員

「原告の請求を棄却する、訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求めた。

第二原告の主張

一  別紙物件目録記載の第一(ハ)、同(ニ)、第二(ハ)、同(ニ)の各土地(以下単に本件土地と総称する。)はいずれも原告の所有であるところ、被告関根信義は右第一(ハ)の土地上に同(イ)の建物を同(ニ)の土地上に同(ロ)の建物を所有し、また、同被告と被告関根光枝は右第二(ハ)の土地上に同(イ)の建物を、同(ニ)の土地上に同(ロ)の建物を共同して所有し、(ただし、いずれも登記簿上の所有名義は被告関根光枝となつている。)それぞれその敷地を共同して占有し、さらにまた、被告百万弗興業株式会社は右第一(イ)の建物を営業所として使用し、同(ハ)の土地を占有しているので、原告は、被告関根信義に対し右第一(イ)および(ロ)の建物を同(ハ)および(ニ)の土地上から収去し、それぞれの土地を明け渡すこと、被告百万弗興業株式会社に対し右第一(イ)の建物から退去して右第一(ハ)の土地を明け渡すこと、被告関根信義ならびに被告関根光枝に対し、右第二(イ)および(ロ)の建物を同(ニ)および(ハ)の土地上より収去しそれぞれの土地を明け渡すことを求めるとともに、被告らの何ら正当の権限のない占有により原告は右各土地について公定賃料相当額の損害をこうむつているので、右第一(ハ)の土地については被告関根信義および被告百万弗興業株式会社の各自に対し、同被告らによる同土地の占有開始ののちである昭和二六年一〇月一四日から同土地明渡し済みにいたるまで、公定賃料相当額である別紙損害金目録第一(イ)記載のとおりの損害金の支払、右第一(ニ)の土地については被告関根信義に対し、同被告による同土地の占有開始ののちである昭和二六年一〇月一四日から同土地明渡し済みにいたるまで公定賃料相当額である同目録第二(ロ)記載のとおりの損害金の支払、右第二(ハ)の土地については被告関根信義および被告関根光枝の各自に対し同被告らによる同土地の共同占有の開始の翌日である昭和三二年六月二三日から同土地の明渡し済みにいたるまで公定賃料相当額である同目録第二(イ)記載のとおりの損害金の支払、右第二(ニ)の土地については同じく右被告関根両名の各自に対し同被告らによる同土地の共同占有の開始の翌日である昭和三一年一〇月七日から同土地の明渡し済みにいたるまで公定賃料相当額である同目録第二(ニ)記載のとおりの損害金の支払を求める。

二  被告らの抗弁に対する原告の答弁と主張

(一)  被告ら主張の第三の二の(一)の事実中、本件土地が東京都(府・市であつた時代をふくむ。以下において、同様な意味で使われることがある。)が設置管理してきた浅草公園地の一部であつたこと、被告関根信義が昭和二三年三月五日東京都知事より本件土地中三一五坪五合について東京都公園使用条例による被告主張の期間の使用許可を得たこと(同日以前の使用関係については知らない。)昭和二六年一〇月一三日東京都は浅草公園を廃止し、本件土地をふくむ同公園地が原告に返還されたことは認めるが、その余の事実は否認する。

(二)  同(二)の主張のうち、東京都が原告所有の浅草公園地について地上権その他の管理権を有していたとの主張は否認する。その余の主張もすべて争う。

すなわち、東京都は浅草公園地に対し何ら適法な権限を有しないのに、これを長年にわたつて公園として管理し、原告の所有権を不法に侵害して来たものであり、したがつて、東京都から使用許可を受けた被告関根信雄の本件土地使用権は原告に対し何ら対抗しうる効力をもたない。

元来本件土地を含む浅草寺境内地一帯は、原告の寺有地であつたが、明治四年の国の上地処分により官有地とされのち明治四四年八月国有土地森林原野下戻法(明治三二年法第九九号。以下単に下戻法という。)により原告に下戻され、再び原告の所有土地となり、現在にいたつているものであるところ、右下戻しに先だち、明治六年一〇月東京府知事は国の許可を得て右土地を含む一帯の土地に浅草公園を設定し、じ来公園として管理してきたのであるが、右のように本件土地その他の公園地が原告の所有に復帰した以上、国有土地であることを前提としてした右の東京府の公園設定行為はその効力を失ない、もし東京府がこれを公園地として存続しようとするならば、改めて原告の所有権を前提として公園使用の措置をとるべきであつたにもかかわらず、このようなことは一切なされないまま依然として公園として存置されてきたのであつて、換言すれば、東京都は、何ら権限がないのに勝手に公園として原告所有の土地を使用してきたものにほかならないから、かかる東京都の使用関係を前提とした被告関根信義の本件土地使用権が原告に対し何らの対抗力を有しないことは明らかである。

この点について被告らは、下戻法第四条等の規定を援用して、原告が下戻処分により、国が東京府に対して負つていた公園として設置管理させるべき義務を承継したと主張するけれども、同法は明治初年に行なわれた排仏毀釈の思想に基づく上地処分の行過ぎを是正するために、実質的意味において上地処分を取り消し、旧所有者にその所有土地だつたものを返還する趣旨の法律であるから、原告が国から本件土地等の下戻しを受けたのは被告らの主張するような原始的取得ではなく、原状回復により所有権を回復したものである。しかして右下戻法第四条第二項等を適用するについては権利の承継はともかく国の負担した義務までも下戻しによつて権利を回復したものに承継させるのは、一面第三者の既得の権利を保護すると共に他面下戻しにより右のごとく権利を回復した者の財産権を侵害ないし制限する重大な結果をもたらす結果になるから、衡平の原則に照らして何れの当事者を保護するのが最も妥当であるかを慎重に考慮して定めるべきであつて、この規定を総ての事案に一律に適用すべきではない。ところで東京府が本件土地を含む附近一帯の土地に浅草公園を設定するにあたつては、単に国の許可を得たのにとどまり、自らの負担で公園の施設をしたわけではなく、また、公園設定によつて利益を受けるのは東京府ではなく利用者たる一般大衆であり、これらの大衆の受ける利益は権利と称すべきものではなく単なる反射的利益にすぎないのに反し、原告は公園設定によつて所有権の侵害を受けこそすれ、毫末の利益をも受けていないのであるから、本件土地について原告が下戻法第四条第二項等の適用を受ける筋合はない。現に原告は東京都が公園を設置管理するについて何らの補償も受けておらず、また本件下戻処分後、原告は屡次にわたつて浅草公園の解除と公園土地の返還方の申請をし続けたところ、当局者は解除すべきが妥当であるとの見解を持ちながらも府(市、都)議会議員と土地との因縁もあつて正式に議決することを渋つていたが、大正二年七月一五日に至つてようやく同公園の一部を解除し、更に大正十五年六月に興業街の第六区を含めて一万四千坪を解除し、その後昭和五年一二月および昭和二二年五月にそれぞれ一部を解除し、戦後政教分離の原則が明確化されるにおよび、残余全部を昭和二六年一〇月一三日に解除返還するにいたつたのであつて、東京都自身つとに浅草公園の設置管理が原告の土地所有権に対する不法不当な制限になることを認めていたのである。被告らは原告が地租を免れたとか繁栄をもたらされたとかいうが、公園地の大部分は寺院境内地であるから公園設定の有無にかかわらず地租は免税であり、仮に宅地に変更になつたとしても原告の方に早く所有権が復帰していれば地租など微々たるものであり、また、原告等は古来の名刹として由緒極めて古く、徳川家康以来江戸治安の維持機関として特別の知遇をうけ、殷賑の中心をなしていたのであつて、公園設定によつて特に繁栄をもたらされたものではないから、被告ら主張のような事由によつて東京都の公園管理を正当化することはできない。

また、仮に、東京府が前記下戻処分ののちにおいても適法に公園を設置管理する権利を有したとしても、一般に公物の所有権が私人に属する場合、国又は公共団体はその物の上に公法上の使用権を取得するだけで、この使用権の効果としてこれを公の目的に供用するのであつて、それは公権の作用にほかならず、公物について私法上の権利を取得することはないから、被告らのいうように、東京府が公園地上に地上権を有していたということはできない。

なお、また、被告らが東京都が公園地について地上権を取得した根拠として主張する地上権に関する法律(明治三三年法第七二号)は同法施行当時、他人の土地において工作物又は竹木を所有する者が単なる土地の賃借権者か地上権者かうたがわしいものが多く、したがつて、地価の昂騰と共に土地所有者から明渡しを求められる事例が多かつたので、これらの土地使用者を地上権者と推定して保護しようとしたのであつて、同法の適用を受けるには、土地所有者と使用者との間に少なくとも私法上の賃貸借契約が存在していなければならないのであるが、東京府と国または原告との間にはそのような関係はないから同法の適用の余地はないし、さらにまた、浅草公園の開始は国および東京府の行政行為(公園設定行為)に基づき、原告の意思如何にかかわらず一方的に行なわれたものであり、国又は原告と東京府との間における契約によつてなされたものでもなければ浅草公園を設定すべき旨の私法法規が存在していたものでもないから、東京府の公園設置管理権は全く私法上の権利の性質を有せず、純粋に公法によつてのみ律せられるべきものである。

三  (再抗弁)仮に東京都の公園設置管理が適法なものであり、それに基づく被告関根信義の使用権が原告に対抗できるものであつたとしても同被告の使用権は次の理由により消滅している。

(一)  東京都公園使用条例第一四条第二号および第三号、第七条によれば公園地使用者が東京都の許可なく用途を変更し、または土地を他人に使用させたときは、使用許可は当然その効力を失なうとされており、また浅草公園においては同公園使用条例第二条、同条例細則第二条に定められた業種に限り使用を許されるものであるところ、被告関根信義は延べ一〇坪の美術館ならびに二〇〇坪の陳列場および車庫の敷地として使用する条件で本件土地の使用許可を受けながら、別紙物件目録第一(イ)の建物を前記の用途に使用することなく、殊にその大部分を百万弗ホテルとして被告百万弗興業株式会社と共同で占有使用し、またかつて右建物の一部を葵ドライブクラブの経営者である訴外大内和雄と百万弗バーの経営者である被告関根光枝に賃貸していたのみならず、右建物を増築して当初の使用許可坪数を越えて土地を使用し、かつ、被告関根光枝に本件土地の一部を転貸しているのであるから、前記条例にいう用途変更ならびに無断転貸により右東京都の許可は当然に効力を失なつたものである。

したがつて被告関根信義の本件土地使用権はすでに消滅している。

なお仮に、右の用途違反や転貸の事実が被告ら主張のように公園廃止後になされているとすれば、同被告は公園使用条例にも基づかないで、またそれを許容する法的な根拠もなく勝手に用途変更無断転貸をしたのであるから、公園使用条例違反を理由とするまでもなく、被告らの本件土地占有が不法不当なものであることは明らかである。

(二)  仮にそうでないにしても東京都は浅草公園を昭和二六年一〇月一三日に廃止し、本件土地を原告に返還したので、右公園廃止とともに同被告の使用権も消滅した。

すなわち、本件土地についての被告関根信義の使用権は公法上のものにすぎないから、公園廃止と共に当然消滅したものというべきである。被告らは、被告関根信義の使用権は私法上の借地権であつて公園廃止により消滅しないと主張するが、東京都の浅草公園に対する管理権は前記のように公法上の使用権に基づくもので、被告ら主張のように地上権その他の私法上の権利に基づくものではないから、東京都は同公園地内において第三者との間に私法上の賃貸借契約を締結する権限はないのみならず、元来公共用物たる公園地に私法上の賃借権等を設定することは、その公共用物附属物でそれより分離できる物を対象とする場合は格別、本件土地のように原告寺の境内地の中心部分(本堂の背後部分)をなし公園地と分離できないものについては、その公共の用に供するという目的に反して許されず、殊に本件公園のように他人の所有地に公園を設定したものにあつて、土地所有者の同意も得ずに公園管理者が独断で第三者のために私権を設定するなどということは明らかに所有権の侵害であり、許されないものである。また、公園使用条例に基づいて浅草公園地内の土地を使用しようとする者は東京都知事(以前は市長)に出願し、同知事がこれを相当と認めたときはこれを許可し、許可地、許可坪数、使用目的、営業種目、許可期間、使用料等を明記した許可証を交付することになつており、その他条例の各条項はすべて東京都が使用者より優越的地位にあることを明記し、当事者対等の意思の合致による契約を締結する余地も私法適用の余地も与えていないのであるから、右東京都の許可は東京都の一方的行政処分であつて公法上の契約でもなければ、まして私法上の契約でもないことは明白といわなければならない。このことはまた、公園使用条例第二条にみられるように、東京都は浅草公園を公園行政の対象としてのみ管理し、都の収入の財源地、すなわち公園行政の目的を離れた単なる使用地としては管理しておらない-東京都が専らその収入の財源地として取り扱つている公園は緑町公園、下谷公園および旧浅草公園地(仲見世通り裏)のみである-ことからも窺えるのである。

そうであるとすれば被告関根信義の取得した本件土地についての使用権は、東京都が同土地について有する公園管理権に基づいて一方的に付与した公園使用条例による公法上の使用権であり、借地法借家法等の私法の適用は全くなく、したがつて東京都の公園管理権の消滅により右関根の使用権も消滅に帰するのは当然のことといわなければならない。現に東京都においては浅草公園の廃止に伴ない被告らその他の公園使用者に対し、公園廃止により公園使用許可は効力を失なう旨通告していることからみても原告の主張の正当なことは明白といわなければならない。

四  被告ら主張の第三の四の主張(再々抗弁)に対する原告の答弁

(一)  同(一)の主張は争う。

(二)  同(二)の主張は争う。浅草公園廃止により東京都の公園地に対する管理権は消滅したのであり、この管理権が当然に原告に移譲されることはなく、また、原告がこれを引き継がなければならない義務はない。

(三)  同(三)の事実のうち、被告ら主張の合意があつたこと、原告が公園廃止後被告関根信義に対し賃貸借契約をする旨通告したことは否認する。その余の主張も争う。

(四)  同(四)の主張も争う。

第三被告らの答弁と主張

一  原告主張の第二の一の事実中、本件土地が原告の所有であること、被告関根信義が原告主張の各土地上に原告主張の各建物を所有し、右各土地をそれぞれ原告主張の日から現在にいたるまで占有していること、被告百万弗興業株式会社が原告主張のころから別紙物件目録記載の第一(イ)の建物を営業所として使用し同(ハ)の土地を占有していること、別紙物件目録第二(イ)、(ロ)の建物が登記簿上被告関根光枝の所有名義になつていること、右各土地の公定賃料の額がそれぞれ別紙損害金目録記載のとおりであること、以上の各事実は認める。ただし、原告主張の別紙物件目録の建物中第一(イ)の建物は実測面積も登記簿上の面積と殆んど一致しており、原告が実測面積として主張するので登記簿上の面積を越える部分のうち、右建物の東側に接着してニツカバー百万弗という酒場となつている建坪一一坪二階一一坪、北西隅に接着する建坪三坪二合五勺(訴外大和資雄に賃貸していた部分)、南西隅に接着する建坪二四坪(古道具市場として使用している部分)は、いずれも未登記ではあるが右建物とはそれぞれ別個独立の建物であり、また、第二(イ)の建物の実測は建坪四二坪二階二二坪で、その余の原告が同建物の実測面積として主張する部分は同建物に接着して北側部分にある木造瓦葺二階建の家屋(建坪一四坪七合五勺、二階一四坪七合五勺)で、右第二(イ)の建物とは別個独立の未登記の建物である。その余の事実はすべて否認する。すなわち、被告関根光枝に関しては、なるほど前記第二(イ)および(ロ)の建物が登記簿上同被告の所有名義になつているが、これは、被告関根信義が手広く事業を営んでいるのでそれが失敗した場合の財産の保全策として、名義上、娘である被告関根光枝の所有にしたにすぎず、真実は被告関根信義の所有であり、被告関根光枝は被告関根信義の家族の一員として右各建物に居住しているにすぎない。したがつて被告関根光枝が右各建物を被告関根信義と共同で所有し、それぞれの敷地を占有しているという原告の主張は誤りである。また、被告百万弗興業株式会社の右建物及び土地の占有は後述のごとき被告関根信義の借地権に基づくもので不法占有ではない。

二  (抗弁)被告関根信義の本件土地の占有権限

(一)  本件土地合計三四九坪六合四勺は、東京都が設置管理して来た浅草公園地の一部であつたが、被告関根信義は、東京都が同公園を管理継続中であつた昭和一六年一一月一四日、うち八五坪四合について東京市長より東京都公園使用条例(当時は東京市)に基づいて浅草公園地使用許可を得、さらに昭和二三年三月五日、東京都知事より右八五坪四合をふくむ本件土地のうちの三一五坪五合について、使用期間を同年一月一日から昭和三二年一二月三一日までとして同条例による使用許可をうけ、同地上に原告主張のごとき建物を所有し今日にいたつているものである。ところで東京都が公園使用条例に基づいてする本件公園地の使用許可は、東京都が同土地に対して有する管理権を根拠とするものであり、この管理権の法的性質は地上権であるから、かかる地上権を前提とする被告関根信義の右使用権はそのまま原告に対抗しうるものである。また、右の使用許可をうけた三一五坪五合を越える部分については、そこに同被告が建物を建築するごとに原告の許可を得ている。したがつて、同被告は本件土地を占有する正当な権限を有するものというべきである。

原告は、東京都が本件土地を含む浅草公園地について地上権その他の管理権を有していた事実を否認し、東京都が全く無権原で原告の所有土地を浅草公園地として使用して来たと主張するが、この点についての原告の主張中、本件土地をふくむ浅草公園地がもと原告の所有であつたところ、明治四年の上地処分により国有地になつたが、明治四四年六月下戻処分により再び原告の所有土地となつたこと、これより先、明治六年東京府が国の許可を得て本件土地一帯に浅草公園を設定し、以後引き続いてこれを浅草公園として管理して来たものであることは認めるが、以下にのべるように、右の下戻処分ののちにおいても、東京都は適法有効な浅草公園地の管理権を有していたものであつて、この点についての原告の主張は理由がない。

すなわち、一般に公園は公共用物たる公物であるが、浅草公園のように行政主体である東京都が他人所有の土地上に公園を設定し管理している場合においては、その管理権はその土地所有者に対する目的土地の使用請求権ないし賃借権等の債権と解すべきではなく、直接目的土地を使用収益しうる制限物権と解すべきであり、公園の土地上に工作物又は竹木の所有を目的とするものであるから、地上権と解すべきである。ところで、浅草公園の設置は明治六年一月一五日の太政官布告第一六号に基づいてなされたものであるが、明治六年の同公園の設定当時は府県はまだ自治体といえるものであつたかどうかは明白ではなく、したがつて東京府は国の機関として同公園を設置管理したにすぎず、国が国有地に公園を設置管理していることになるが、明治二三年の府県制の制定により府県が自治体となり同三二年の改正により府県が法人となつてからは、東京府が他人(国)所有の土地に公園を設定管理するという形となり、したがつてこの際、東京府は国に対し浅草公園地につき法律上当然の地上権(一種の法定地上権)を取得したのである。ところで前記下戻処分により明治四四年にその土地所有権は原告に移つたのであるが、東京府は右のように地上権に基づいて公園地を管理しているのであるから、改めて原告に対し公用収用の手続をとるまでもなく、当然公園の管理を継続できたのである。けだし、原告からみるとなんら収用手続がとられていないのにその所有土地が公用使用されている状態が生じてはいるが、東京府の立場からみると、従来の他有公物の所有者が国から原告にかわつたにすぎず、たとえば国有土地が道路となつている場合にその道路敷地の所有者がかわつても地役権付きの土地として所有権が移転するのであるから、所有権が移転するごとに公用使用の手続等をする必要がないのと全く同じで、下戻処分による所有者の変更は東京府の公園管理権に何らの影響を及ぼすものではなかつたのである。

のみならず、右の下戻処分自体に既存の権利義務関係を当然に承継すべき負担が付されていたのであるから、原告は当然に東京都の公園設置管理を承認すべき立場にあつたのである。すなわち前記下戻法第四条第一項は「下戻ヲ受ケタル者ハ下戻ニ因リテ所有又ハ分収ノ権利ヲ取得ス」と規定して同法による所有権の取得が原始取得であることを示したうえ同条第二項は、下戻しにより所有権を取得した者はその土地に関し国の権利義務を承継する旨を定め、また同法第五条は、「第二条ニ依リ下戻ヲ受ケタル者ト雖公用又ハ社寺境内地ニ供セラレルモノハ其ノ公用又ハ社寺境内地ヲ廃シタル後ニアラサレハ権利ヲ行使スルコトヲ得ス」と規定しているところをみれば、同法による下戻しを受けた原告は、東京都の公園管理権の法的性質をいかに解しようとも、東京都に対し本件土地を公園地として使用することを許容した国の義務を承継したわけであり、この公園設置にいつては期間の定めがないので、東京都においてその意思により右公用を廃止するまでは東京都が引き続き公園地として使用することを容認しなくてはならない法律上の義務を負つたのである。もつともこれによれば、原告としては土地所有権を取得はしたけれども収益はできないという結果になるが、同法による下戻しがそもそも特典であるから、下戻処分にかかわらず東京都が公園の設置管理を継続しても原告の所有権に対する不法不当な制限とはいえず、しかも原告は下戻土地の所有によつて地租その他の税金を納付するわけではなく、また東京都は公園というよりむしろ歓楽街として管理し、各種建物の建設を許可して浅草の繁栄をもたらし、原告は月数万の参詣人を有する全国有数の都市寺院として現在にいたつたもので、少しばかりの補償をうけるよりはるかに多くの利益を得てきたのであるから東京都の公園管理が不法不当であるとは主張できないのである。また、原告は、右の下戻処分は排仏毀釈思想の行過ぎを是正するために行なわれたもので、実質的には上地処分の取消しを意味するものであり、したがつて原告の下戻処分による土地所有権取得は原始的なものではなく、いわば原状回復にあたるものであるから、原告に対する下戻処分には前記下戻法第四条第二項等の適用はないと主張するが、同法は原告のいうように排仏毀釈の思想の行過ぎを是正しようとするものではなく、上地処分・地租改正により国が原始的にその所有権を取得して官有地に編入された土地につき、右各処分当時分収の事実があつたものにその旨の証拠書類を添付して申請させて下げ戻したのであつて、この点についての原告の主張は理由がない。

仮に以上の主張が理由がないとしても、東京府は明治三三年法律第七二号地上権に関する法律が施行された同年三月二七日以前から国有の本件土地を工作物又は竹木を所有するため使用していたのであるから、同法により当然地上権者として推定されるものである。したがつて下戻しにより目的土地が原告の所有になつた際に、原告は、前記下戻法第四条第二項、第五条により、地上権付きの所有権を取得したのであるから、いずれにしても、東京都は本件土地について地上権を有していたことは明白といわなければならない。

三  原告主張の第二の三(再抗弁)に対する被告らの答弁

(一)  同(一)について。被告関根信義が原告主張のような用途のために本件土地の使用許可を受けたことは認めるが、これを無断で他に転貸した事実および公園廃止前に用途を変更をした事実は否認し、その余の主張は争う。すなわち、被告関根信義が別紙物件目録第一(イ)の建物を旅館に改装して百弗万ホテルとしたのは昭和二八年二月ころであり、右建物の北西隅の建物を訴外大内和雄に賃貸したのは昭和三二年一一月ころであり、建物を増築し東京都の使用許可坪数を越えて本件土地を使用するようになつたのは昭和三二年六月ころのことであつて、いずれも昭和二六年一〇月一三日の浅草公園廃止後のことであるから、もはや東京都公園使用条例等の適用の余地がなかつたのであり、同条例違反による土地使用権消滅の主張は理由がない。なおまた、被告関根信義が本件土地上の原告主張の建物を被告関根光枝に賃貸している事実、ならびに本件土地の一部を同被告に転貸している事実のないことは、前記のとおりである。

(二)  同(二)について。東京都が浅草公園を昭和二六年一〇月一三日に廃止したことは認めるが、同公園廃止とともに同被告の使用権が消滅した事実は否認し、その余の主張は争う。

すなわち、被告関根信義の本件土地使用権は、公園存続中においては種々の公法上の制限をうけるにしても、東京都が同土地について有する地上権に基づいて同被告のために設定した私法上の土地使用権すなわち借地権であり、少なくとも公園廃止後においては右の公法上の制限もなくなり完全な借地法上の使用権となるものであつて、公園廃止により当然消滅するということはない。けだし、行政主体が公園のごとき公共用物を管理する上においては、当該公共用物をその本来の目的である公共の用に供することのほかに、その本来の目的を阻害しないかぎりにおいて、その公共用物の上に私人のために私権を設定し、その使用料を徴収し収益をはかる面があり、特に公園等においては、一部に私有の建築物が存することは必ずしも公共用の目的を妨げず、かえつて全体の美観を増し、また、収益目的に沿うこともあるから、その上に継続的な私権を設定することが可能なのである。しかして、東京都が本件土地上に地上権を有するものと解すべきことは前記のとおりであり、また、地上権者が土地所有者の同意を得ないでもその土地について第三者に賃借権を設定しうることは異論がないから、東京都が東京都公園使用条例によつてした土地使用許可は、東京都が本件土地に対して有する地上権に基づいて右の意味における私法上の土地使用権(借地権)の設定をなしたものと解すべきである。

なるほど形式上は右の使用権は行政処分によつて付与されているが、その実体は公園使用条例による制限はあるけれども、私法上の公物使用契約であり、私法上の借地契約とみるべきものであり、殊に東京都が浅草公園を管理していた実態は、その大部分の土地を営利業者に貸し付け、遊興街として地代を取り立て収益をあげることにあつたことからみても右のことは明らかである。

なお仮に右使用許可の公物使用の法律形態が私法上の使用権ではないとしても、それは特許使用であり、被告関根信義のために権利を設定したものである。そして、公法上の使用権だからといつて、民法や借地法借家法の適用が全面的に排除せられるべきものではなく、一般に同種の法律関係は同一の法および法原則に従つて規律されるべきことが原則であり、それにより一般に予測可能性が与えられ法律生活の安定が確保されるのであるから公法上の特殊の扱いを必要とする場合においてそのような実定法上の根拠が認められる場合を除いては、すべて私法が適用されるべきである。すなわち、たとえば公物の使用関係においては、使用料のごとくその徴収につき特別の手続が許されるかぎり、また、使用許可の違反に対し特別の排除手続が認められる限りにおいて公法上の法律関係としてその処理がなされるにすぎないのである。

しかりとすれば、このような使用権を消滅させるには公法上および私法上の理由が必要であつて、原告が主張するように単に公園を廃止したというだけでは当然に消滅するものではない。使用許可自体が公園廃止を解除条件としているとか、被告関根信義の土地使用のため公園廃止が不可能であるためまず使用許可を取り消したとかの事情があれば格別であるが、そうでない以上、公園廃止とは単に現状の公園地につき以後公共の用に供することを廃止するというだけの意味にとどまり、当然に土地使用許可処分の取消しの効果を生むものではない。東京都公園使用条例第二条によると、公園地等の使用については公園の施設に伴なうものであることが要請されているが、右にいう「公園の施設に伴なう」とは、「使用にあたり公園の目的を妨げずそれに沿うよう」にという趣旨であつて、必ずしもその使用権が公園自体とその命運を共にすることを意味しない。

また、本件においては、東京都は昭和二六年一〇月一三日、乙第一号証の一のとおり「浅草公園廃止返還について」と題する書面を許可使用者に送付し、「従来貴殿が本都の公園使用条例により許可を受け使用せられておる使用地について、公園廃止のため、その許可は自然に効力がなくなりましたので、今後は浅草寺住職と直接御交渉のうえ、あらためて使用せられたい。」と通知したが、この通知は使用許可処分の取消し(撤回)を意味するものではない。行政行為も新たな公益上の必要に基づき撤回することができるが、一旦なされた行政行為に基づき次々と新しい法律秩序が形成されていくものであるから、既成の法律関係維持の必要から自由にその撤回が許されるものではなく、殊に人民に権利を賦与する行政処分の撤回は、相手方の同意のある場合、撤回権を留保している場合および公益上特段の理由がある場合のほかは許されないものであつて、現に東京都公園使用条例は、使用者に義務違反のある場合及び都が直接使用する場合についての撤回権の留保は規定しているが、その他の場合については撤回権を留保してはいないし、また被告関根信義は使用許可の取消しに同意したこともなく、さらに公益上強度の必要のある場合でも使用許可の撤回には相当の補償を必要とするところ、同被告は昭和三二年一二月三一日までの使用許可を受けて本件土地に建物を所有していたものであり、右条例第五条第六号により建物の存続する限り期間満了後も引続き使用を許可せられるべきものであるから、同被告の右の権利を消滅させるには当然に何らかの補償が東京都よりなされるべきものであるのに、同被告は東京都より右の補償の内示はおろか建物収去の請求さえ受けていないのであるから、東京都において使用許可取消しの意思表示があつたとはいえないばかりか、その意思さえなかつたものというべきであつて、前記の通知をもつて使用許可の取消しとみることはできない。

以上のように公園廃止により被告関根信義の使用権は消滅しないばかりか、むしろ公園廃止によりいままでの公法上の制限が完全に排除される結果、東京都が公園地に対して有していた公法上の地上権は完全な私法上の地上権に転化し、それに従つて同被告の使用権も完全な借地法上の借地権となり、東京都が許可した使用期限である昭和三二年一二月三一日の経過と同時に借地法の規定に従つて更新されているというべきであつて、原告の主張は理由がない。

四  (再々抗弁)

(一)  仮に公園廃止により本件土地についての東京都の管理権(地上権)が消滅するとしても、地上権者が適法に設定した賃借権が存在する場合には、地上権者がその意思で地上権を放棄し、若しくは地上権設定者との合意でこれを消滅させても、これをもつて賃借権者に対抗できないものと解すべきであるから、東京都が公園を廃止し、かつ、その公園地の所有者である原告に返還し、その地上権を消滅させたとしても、被告関根信義は依然として原告に対し対抗しうる使用権を有する。

(二)  仮にそうでないにしても、原告は、公園廃止により、本件土地についての管理権を東京都から全面的に委譲されたものとみるべきであるから、当然被告関根信義らの使用権を容認すべきである。

(三)  仮にそうでないにしても、原告は、公園廃止にあたり、東京都との間において、東京都と公園使用者との間の使用法律関係を直接原告と右使用者間の賃貸借関係とすることに合意した。原告は右合意に基づいて、被告関根信義との間において本件土地につき改めて賃貸借契約を締結する義務があり、現に東京都は右の合意に基づき各公園使用者に「今後は浅草寺住職と直接御交渉のうえあらためて使用せられたい旨。」通知し、また原告も公園廃止直後、被告関根信義に対し賃貸借契約を締結する旨通告してきたことがあり、同被告は、早速原告の指図に従い、地代及び志納金を準備して原告の指図を待つている次第であつてこの点からも、原告の本訴請求が失当であることは明白である。

(四)  仮に被告関根信義の本件使用権が公園廃止により消滅するにしても、原告は東京都の管理中はその行為を全面的に認容すべき立場にあり、かつ、現に認容していたのであるから、公園廃止によつて直接管理ができるようになつたからといつて、既往の東京都の管理行為の結果を第三者の損害を無視して全面的に排除できるものではなく、東京都の使用許可によつて建物を所有して土地を使用してきた者に対しては、東京都の許可した使用期間中は借地法によつて引き続き使用させる義務があり、右期間経過とともに同法の規定に従つて更新させるべきである。現に被告関根信義と同じような立場にあるいわゆる六区の興業者等は約三百名に達するが、彼らにより結成された浅草公園会の名誉顧問として昭和二七年一月原告の代表者浅草寺貫主が就任したことは原告が公園廃止後において東京都の管理行為の結果を認容した証左である。また、仮にそうでないにしても右のごとき事情のもとでは、原告の本訴請求は信義則に反し、権利の濫用である。

第四証拠関係〈省略〉

理由

一  本件土地が原告の所有であること、本件土地の原告主張の部分の上にそれぞれ原告主張の建物が存在していること(もつとも、被告らは原告主張の別紙物件目録第一(イ)および第二(イ)の各建物は、それぞれ原告主張の登記簿上の表示の面積とほゞ同一の面積の建物とそれに接着して建築された別個の建物との二個以上の建物から成るものであると主張し、被告関根信義本人尋問の結果中にはこれに沿うものがあるが、同本人尋問の結果の他の部分および弁論の全趣旨に徴すれば、被告らが別個の建物と主張する建物は、既存の建物に接着して増築されたものであり、特に独立の建物として登記されているわけでもなく、全体として一個の建物としての体裁を有するものであることが認められるから、これを二個以上の建物と認定すべき特段の事情の存在の認められない本件においては、右第一(イ)および第二(イ)の建物は原告主張のような登記簿上の面積とは異なつた実測面積をもつそれぞれ一個の建物と認定するのが相当である。)、被告関根信義が右各建物を所有して原告主張の日から本件土地を占有していること、被告百万弗興業株式会社が同じく原告主張の日から別紙物件目録第一(イ)の建物を営業所として使用し同(ハ)の土地を占有していることは当事者間に争いがない。原告は被告関根光枝が前記物件目録第二(イ)および(ロ)の建物を被告関根信義と共有してその敷地である同目録第二(ハ)および(ニ)の土地を占有している旨、主張し、右被告らはこれを争うので判断するに、右第二(イ)および(ロ)の建物の所有名義が登記簿上被告関根光枝のものになつていることは当事者間に争いがないけれども、被告関根信義本人尋問の結果によれば、被告関根信義は、自己が、手広く事業を営んでいる関係上、事業の失敗等の万一の場合を考え、その財産の保全策としてその所有名義を自己の娘である光枝のものにしておいたにすぎず、その管理処分は被告関根信義の一存でしていることが認められ、この認定に反する証拠はないので、右各建物は上記のごとき形式上の登記名義にかかわらずその実質においては被告関根信義が単独で所有していると認めるのが相当であるから、被告関根光枝が右各建物を被告関根信義と共有していることを前提とする被告関根光枝に対する原告の請求は、すでにこの点において失当としてすべて排斥を免れない。

二  そこで進んで被告関根信義の本件土地の占有権限について検討する。

(一)  本件土地はもと原告の所有するものであつたところ、明治四年の寺社領上地処分により官有地とされたがその後明治四四年下戻法第二条により原告が国から下戻処分をうけ再びその所有者となつたこと、これより先明治六年、ときの東京府は国の許可を得て、本件土地を含む附近一帯の土地上に浅草公園を設定し、本件土地は同公園地の一部となり、以来昭和二六年一〇月一三日東京都が同公園を廃止するまで公園として管理されてきたこと、被告関根信義は昭和二三年三月五日東京都知事より、東京都公園使用条例に基づいて本件土地中の三一五坪五合について使用期間を昭和三二年一二月三一日までとする使用許可をうけ、これを使用してきたこと、以上の各事実は当事者間に争いがない。

(二)  被告関根信義は右の三一五坪五合については東京都知事の許可による使用権をもつて原告に対抗できると主張し、また、本件土地中右三一五坪五合を越えるその余の土地については、その使用を始めるたびごとに原告の同意を得ているから、これについても原告に対抗できる占有権限を有すると主張するところ、本件土地中右の三一五坪五合を越える部分について被告関根信義が右の同意を得たことを認めるに足る証拠がない(この点に関する同被告本人尋問の結果は明確を欠き採用しがたい。)のでこの点についての同被告の主張は理由がない。そこで右三一五坪五合の土地についての上記許可による使用権が同被告による右土地占有の正当権原となりうるかどうかを検討する。原告は、上記下戻処分によつて原告が本件土地の所有権を回復したのちにおいては、東京都は右土地の使用権原を有せず、同都が本件土地を公園地として利用すること自体が原告に対する関係で不法占有であるから、かかる無権原の者から本件土地の使用許可をうけても、かかる使用権は原告に対し何らの効力を及ぼすものではないと主張する。しかしながら、前記下戻法第五条によれば、同法第二条により国有土地の下戻しをうけた者であつても、それが公用に供せられている場合においては、その公用が廃止されたのちでなければ権利を行使することができないこととせられているところ、前記のように東京府は明治六年に国の許可をえて、本件土地一帯に浅草公園を設定し、本件下戻処分の当時はもとより、前記のように昭和二六年これを廃止するまで継続してきたわけであつて、右下戻法にいう公用に供している場合に該当することは明白であるから、同法第二条により本件土地の下戻処分をうけた原告としては、右第五条の規定により本件土地の公園としての公用の廃止にいたるまでは、これが公園として使用せられることを甘受せざるをえない地位にあるわけであり、したがつて東京都がこれを公園地として管理してきたことは、それ自体なんら違法ではないといわざるを得ない。この点につき原告は、原告に対する本件下戻処分は先に行なわれた違法不当な上地処分の実質的な取消処分であつて、原告の所有権取得はいわば原状回復であるから、下戻法の規定をそのまま適用できないと主張するけれども、原告の右主張はいずれも原告独自の見解に基づくものであつて、上記下戻法の各規定の解釈としてはとうてい採用し難い議論となさざるをえない。

そして、東京都は、本件土地を公園地として管理し公用に供している限りにおいて、その管理権の行使として公園地の使用権を私人その他の第三者に付与することができるのであるから、右公園が存続し、かつ、被告関根信義に設定せられた公園地の使用権が存続する限り、同被告は右土地の占有につき原告に対抗しうる正当な権原を有するものとしなければならない。

(三)  次に原告は、被告関根信義が本件土地に適法有効な使用権を有していたとしても、それは同被告の本件土地についての用途違背および無断転貸により東京都公園使用条例の規定上当然消滅した、仮にそうでないとしても、前記浅草公園廃止により当然に消滅したと主張するので、右の用途違背および無断転貸により右の使用権が消滅したかどうかはしばらく措き、公園廃止により同被告の使用権が消滅したかどうかについて検討する。

被告関根信義は、東京都が本件土地を公園地として使用しうる権原につき、これを東京都が法律上当然に取得した地上権と解し、かかる地上権は、公法上の物権たる性質をもち、本件土地につき公用を廃止したのちにおいては、右公法上の地上権は公用に供するという制限を離れて純然たる民法上の地上権に転化して存続すると主張するもののようである。すなわち同被告の主張するところによると、本件土地を含む附近一帯の土地につき浅草公園が設置せられた当時においては、これらの土地は国有地であり、当時の東京府は国の機関として同公園を設置したものであるが、明治二三年の府県制の制定によつて府県が自治体となり、同三二年の改正によつて府県が法人となつたのちにおいては、東京府が他人(国)所有の土地に公園を設定管理するという形となり、したがつてこの際、東京府は国に対し、法律上当然の地上権を取得したものというべく、しからずとするも明治三三年地上権に関する法律の施行とともに同法によつて東京府は地上権者と推定され、しかして前記下戻法による下戻しによつて本件土地の所有権を取得した原告は、同法第四条第二項の規定によつてその土地に関する国の権利義務を承継したものであるというのである。同被告が右にいう公法上の地上権なるものがいかなるものであるかは、その主張自体からは必ずしも明白ではないが、それが行政主体において第三者所有の財物を公の目的に供用しうる公法上の排他的支配権能をいうのであるとすれば、かかる公法上の排他的支配権能は、当該物件が公の目的に供せられている限りにおいてのみ認められるものであつて、公用が廃止されたのちにおいてもなおこれに対する民法上の地上権と同様の排他的使用権として存続しうるような特別の公法上の地上権なるものは、わが実定法上これを観念しうる余地はなく、したがつて同被告の主張はすでにこの点において採用の限りでないといわなければならない。もし仮に同被告の真意が、東京府(市)が民法上の地上権を取得し、ただ当該物件を公の目的のために管理使用しなければならないという公法上の負担を伴なつているにすぎないというのであるとすれば、公用の廃止は単にかかる公法上の負担の解消のみを結果し、例えば自有公物につき公用が廃止されれば民法上の所有権が完全な形に回復するのと同様に東京府(市)の有する民法上の地上権が完全な形に回復するということができるかもしれないけれども、そもそも東京府(市)が国に対して独立の法人格を取得した際、従来それが国の機関として設置管理していた公園地について当然に民法上の地上権を取得するということ自体がなんら法律上の根拠のない議論であり、むしろ事態を卒直に観察するときは、単に従来国有公物であつた公園の行政上の管理権が国の承認の下に自治体たる東京府(市)に移譲せられ、これに伴なつて東京府(市)が国有土地に対しさきに述べたような公の用途にこれを使用管理しうる公法上の排他的支配権能を取得したというだけのことで、この場合に国と東京府との間に民法上の地上権の設定があつたものと擬制しなければならない必要はどこにも存しないし、また地上権に関する法律も上記のような公物の管理の場合にこれを適用する余地はないから、結局被告関根信義のいうごとき公法上あるいは民法上の地上権の存在は、いかなる意味においてもこれを認めることができないのである。したがつて前記下戻法の規定により原告が本件土地の所有権を取得した場合においても、原告は同法第四条第二項の規定により被告関根信義のいわゆる地上権つきの所有権を取得したというわけではなく、単に同法第五条の規定により公共用物たる公園地として公園管理権者による管理権、すなわち公法上の公用使用権の負担を伴なつたところの土地所有権を取得したというにとどまるのであつて、右土地につき公用が廃止されれば、さきにも述べたように右の公用使用権は消滅し、土地所有権はなんらの負担なき円満な所有権に回復し、公用廃止後も依然として私法上の地上権のみが存続するというがごときことはありえないのである。それ故被告関根信義の上記主張は採用することができない。

次に東京都が公園管理権者として公園地の一部に特定人のために使用権を設定することができることは明らかであるが、かかる特別の使用権を原告の主張するごとく公法上の使用権と解するか、被告関根信義の主張するごとく借地法の適用を受くべき私法上の借地権と解するかはともかく、東京都は公園管理権者として有する管理権の範囲においてのみかかる特別の使用権を設定しうるものであつて、かかる管理権の範囲を越えて土地所有権者の所有権を制限するごとき特別の使用権を第三者のために設定すること、例えば公園としての公用廃止後もなお土地所有者に対抗して存続しうる借地権のごときものを設定することができないことは明らかであり、したがつて、東京都が被告関根信義に対して設定した本件土地の使用権も、その性質をいかに解するにせよ、それは本件土地が公園として維持されている限りにおいてのみ所有者たる原告に対抗しうる権利であり、公園としての公用の廃止後は、もはやかかる対抗力を有する権利としては存続しえざるにいたるものと解さなければならない。けだし原告の私有財産たる本件土地について原告がその所有権の行使の制限を受けているのは、前記下戻法第五条の規定によつて右土地が公用に供されている限りこれを行使することができないとされているがためであつて、換言すれば、原告は本件土地が公共の用に供されている限りにおいてのみかかる制限を甘受せざるをえない地位に置かれているにすぎず、かかる公用と全く無関係な第三者の私権によつて制限を受けなければならない理由はどこにも存しないからである。したがつて、公園管理権者たる東京都が被告関根信義に対して認めた本件土地の使用権は、当然に右土地が公園地として存続する限りにおいてのみその使用を認めるという趣旨において設定された権利と解すべく、仮に東京都が誤つてかかる制限のない使用権を認めたとしても、右の制限を越える範囲においてはその使用権をもつて原告に対抗することができないものというべく、それ故東京都が浅草公園を廃止した昭和二六年一〇月一三日よりのちにおいては、同被告は本件土地につき原告に対抗しうる正当な使用権原を喪失したものとしなければならない。なお同被告は、右公園廃止後もなお同被告の本件土地使用権が存続するゆえんにつき、あるいは公園廃止によつて東京都の管理権が消滅しても、これをもつて右土地上に適法に借地権を有する第三者に対抗しえないといい、また原告は公園廃止によつて本件土地についての管理権を東京都から移譲されたものであるから、当然被告関根信義の有する借地権を容認せざるをえない地位にあると主張するけれども、これらはいずれも当裁判所が上に示した解釈と異なる見解を前提とするか、またはなんらの根拠なき独自の議論の開陳にすぎず、いずれも採用の限りでない。

(四)  次に被告関根信義は、公園廃止の際、東京都と原告との間において、東京都と被告ら公園土地使用者との公園土地使用関係を原告と右の使用者との間の直接の使用関係にすることに合意し、かつ、原告は被告関根信義に対し賃貸借契約を締結する旨通告したから、原告の本訴請求は失当であると主張するけれども、かかる事実を認めるに足る証拠はなく(証人森脇竜雄の証言により成立を認めうる乙第一号証の二、三はかかる合意の存在を肯認せしめる証拠となし難く、被告関根信義本人尋問の結果中上記主張に沿う部分は証人大森公亮(第一、二回)、同大森亮潮、同木下亮孝の各証言と対比し信を措き難く、また成立に争いのない甲第一九号証によれば、昭和二四年二月一四日の東京都建設局長の原告あて文書中に被告関根信義に対して東京都が本件土地の一部百坪の使用権を付与するにつき原告の了解済みなる旨の記載があることが認められるが、上掲各証人の証言によると、右文書は原告の東京都に対する公園地解除に関する照会書(後記甲第一八号証)に対する回答書であつて、右記載は単に東京都が被告関根信義に対し使用権を付与するにあたつて原告にその旨を通知したことをもつて諒解を得たとして記載したものにすぎず、原告がこれに同意を与えたとか、公園廃止後も存続すべき使用権として原告がこれを認めたというようなことはないことが認められるから、これまた上記同被告主張事実の証拠となるものではない。)、かえつて成立に争いのない甲第八、第一九、第二三、第二四号証、第二五号証の一、二、証人大森公亮(第一回)の証言によつて成立を認めうる甲第一八、第二〇号証、成立に争いのない乙第一号証の一、前掲乙第一号証の二、三、証人森脇竜雄、同大森公亮(第一、二回)、同大森亮潮、同木下亮孝の各証言をあわせると、浅草公園については原告において公園地の下戻しを受けたのち公園解除の申請をなし、大正二年と昭和二年に各一部の解除返還を受けたが、今次大戦後新憲法の施行により政教分離の建前から社寺と国または地方公共団体との土地の所有使用関係を整理する機運が生じたことに伴ない、原告は東京都に対して浅草公園の全面的解除返還を強く要請し、東京都においても右要請に応ずることとなつたが、浅草公園は公園といいながら実際上はいわゆる繁華街の様相を呈し、東京都から使用権を認められて店舗等の建物を所有し、居住ないしは営業を行なつている者が相当多数存在するのに加えて、終戦後の混乱に際し、東京都から正規の許可を得ないでバラツク等を建築居住している者、浅草区長から戦災者海外引揚者等の収容のために臨時に使用の許可を得た者等が存在していたので、原告としては東京都においてこれらの者すべてとの関係を整理し、公園設置前の状態において原告に返還すべきことを要望したが、東京都としては原告の右要望をもつともとして是認しながらも、これを実現するためには相当の費用と時日を要するので実際上困難であることを理由として原告の再考慮を求め、種々折衝の結果、公園廃止に先たち昭和二六年八月ころ、原告と東京都との間に、都は浅草公園の全地域につき公園を解除して原告に返還する、都が認可した使用地については、公園の解除と同時に土地使用者に使用権消滅の通知をして原告に引き渡し、原告は原告の寺としての整備に支障のない限り従前の使用者との間に改めて土地使用に関する契約を締結する方針をとるものとする、既存建物の移転縮少等整理の必要があるときは都は原告に協力する等を内容とする申合わせがなされたこと、右申合わせ中の従前の土地使用者に対する新規賃貸借契約締結に関する部分は、東京都として既存の使用権者に与える影響をできるだけ少なくしようとする配慮から出たものであるが、それはあくまで都としての原告に対する希望の域を出るものではなく、これによつて原告に新規賃貸借契約締結の義務を負わしめる趣旨のものではなく、原告としても特にその趣旨を明らかにするために申合わせ条項の原案の「……契約を締結し紛争のないよう取り計らうものとする。」なる文言を「……契約を締結する方針をとるものとする。」なる文言に改めしめたいきさつがあること、右申合わせ条項に従い、東京都は公園解除と同時に従前の使用権者に対して使用権消滅の通知をし、一方原告においては、浅草寺の境内整備と題するパンフレツトを作成して関係者に配布し、その中で浅草寺の境内地として整備すべき場所と一般に賃貸すべき土地とを区分し、境内地として整備すべき土地の範囲内においては、浅草寺としての宗教活動にふさわしくない建築物の存続を認めず、これによつて影響を受ける者に対してはある程度の換地を提供するとの方針を明らかにしたこと、被告関根信義所有の本件建物の所在する本件土地は、原告が整備しようとしている境内地に含まれ、原告寺の本堂に近接した場所であり、原告としてはかかる土地に第三者の経営するホテルのごとき施設が存在することを自己の宗教活動上きわめて望ましからぬことと考え、本件土地につき被告関根信義との間に賃貸借契約を締結することを拒否する態度を堅持していること、以上の事実を認めることができ、他にこれを動かすに足りる証拠はない。してみると、原告と東京都との間に公園土地使用者のため公園廃止と同時に借地権を設定する旨の合意が成立した事実や、原告が被告関根信義に対して賃貸借契約締結の通知をした事実は全く存在しないといわなければならず、同被告の上記主張はとうていこれを採用することを得ない。同被告はまた、原告は東京都の公園管理中はその管理行為を容認していたのであるから、原告が直接浅草公園地を管理できるようになつたからといつて既往の東京都の管理行為の結果を否認できるものではなく、また原告自身右管理行為の結果を容認している旨主張するけれども、原告が法律上かかる容認義務を負うものでないことはさきに述べたとおりであり、また現実にかかる管理行為の結果を容認した事実のないことも上に認定したところから明らかである。被告関根信義はさらに原告の同被告に対する明渡請求を権利濫用と主張するけれども、同被告が本件明渡請求によつて甚大な損害をこうむることは容易に推知しうるところとはいえ、同被告の本件土地使用権がもともと浅草公園の存続という必ずしも法律上同被告のために保障されていない事由を前提とするものにすぎない以上、公園の廃止に伴なつて自己の受けるべき損失について土地所有者たる原告に対しその使用の承認を強制する根拠はないものというべきであるのみならず、原告が同被告に対して本件土地の賃貸借契約締結を拒否する理由は上記認定のとおりであり、正当の理由なくして、もつぱら同被告に損害を与えることを意図して右明渡しを求めているわけのものではないのであるから、同被告の権利濫用の抗弁もこれを採用することができない。

三  以上説示したごとく、被告関根信義の抗弁はすべて理由がなく、したがつてまた、同被告の占有権限を前提とする被告百万弗興業株式会社の占有権限の主張も理由がないから、被告関根信義に対し別紙物件目録記載の各建物を収去してそれぞれの敷地の明渡しを求め、また、被告百万弗興業株式会社に対し同目録第一(イ)の建物から退去してその敷地の明渡しを求める原告の請求は正当であるからこれを認容すべく、また、原告は、右被告らの右各土地の不法占有により損害を被つているものというべく、しかして本件の各土地についてこれに地代家賃統制令が適用されるとして計算された地代の最高価額が原告主張の別紙損害金目録各記載のとおりであることは当事者間に争いがなく、一般に特段の事情のない限り土地の不法占有により土地所有者が被る損害は、右の地代家賃統制令によつて定められる地代の最高価格をもつて相当とすると解すべきであるから、被告関根信義および被告百万弗興業株式会社の各自に対し、別紙物件目録第一(ハ)の土地につき公園廃止の日の翌日である昭和二六年一〇月一四日から同土地明渡しずみにいたるまで、同損害金目録第一(イ)記載のとおりの損害金の支払を求め、また被告関根信義に対し、同物件目録第一(ニ)の土地について同じく昭和二六年一〇月一四日から同土地明渡しずみにいたるまで同損害金目録第一(ロ)記載のとおりの損害金、同物件目録第二(ハ)の土地について公園廃止の日より後の日である昭和三二年六月二三日より同土地明渡しずみにいたるまで同損害金目録第二(イ)記載のとおりの損害金、同物件目録第二(ニ)の土地について同じく昭和三一年一〇月七日から同土地明渡しずみにいたるまで同損害金目録第二(ロ)記載のとおりの損害金の各支払を求める原告の請求はいずれも理由があるので、これを認容すべきである。

四  以上の次第で原告の被告関根信義および被告百万弗興業株式会社に対する請求をすべて認容し、被告関根光枝に対する請求はすべて棄却することとし、訴訟費用の負担については、原告と被告関根光枝との間に生じた分については民事訴訟法第八九条、原告とその他の被告らとの間に生じた分については同法第九三条第一項本文第八九条を適用し、なお、反執行の宣言の申立てについては相当でないからこれを却下することとし、主文のとおり判決する。

(裁判官 位野木益雄 中村治朗 清水湛)

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